いい事もあるよ

全校生徒110人ほどの小学校が唯一の社交界
家に帰れば犬猫、家畜と二人の兄しか遊び相手がいない。
序列最下位の私は本当によく家族に可愛がられ、そして兄にいじめられました。

これまでも登場し続けていますが、長兄にまつわる話はたんとあり、そのほとんどが私への悪行三昧。あはは。
でも、兄にも名誉と言うものがあるでしょう。
ですから今回はちょっといい話。




私はまだ就学前だったと思います。
ある日、小学校から帰ってきた兄は私に言いました。

「茶碗はどうやって出来るか知ってるか?」

そこから始まって、兄はよどみなくその工程を語りました。
いつになく丁寧に、親切な語り口。
今思えば兄にとってもそれは大変な情報であり、聞いてきたそのままをかみ砕く暇なく私に話さずにはいられなかったのでしょう。

私の頭に残ったのは「粘土」と「焼く」。

歯「粘土ってあれでいいの?」
長兄「そうさ。練って使うんだ」
粘土はそこいらにあるのです。

歯「焼くのはストーブでいいの?」
長兄「そうだ、ストーブで焼くんだ」
そうか。ストーブで焼くのです。

その時から脳みそが粘土。
長兄もよほど興味があったのでしょう。
3人兄妹そろって粘土採掘です。
何処でどうしてつくったのかそれは何がしかの形になり、めでたくストーブと言う窯に入れました。

もちろん兄が窯元。
子供の頭で可能な限りの知恵を絞って焼く。
そして当然の失敗です。

兄たちは理解できたのか、それ以上はつくりませんでした。
そして長兄は窯元として2~3回の口だけ指導、次兄は粘土採掘にちょっとだけ付き合ってくれたと思います。

そんなでしたが私の熱はしばらく続きました。
粘土をとってきてはつくる。
そして家に入って焚かれているストーブに入れる。
なにせ幼いので火を自由に扱わせてもらえませんでしたから兄たちが帰って来てから焼きます。
灰をかぶせても、火から遠くしてもおき火ばかりを狙っても割れずに出来たことはなかった。

どうして?どうして?どうして?

春から秋まで、思い立ってはそれをやっていたと思います。
当然のことながら雪と一緒に眠ってしまった疑問は陶芸家になるまで解決しなかったのです。



この事と私がその道に入ったことは関係ないのです。
でも、初めてつくった作品を焼きあげてびっくり!

昔つくったあの手がここにある!
私ってこんななんだ、変わってないんだ。



古代模様湯のみ
イメージ 1


高台
イメージ 2




造形なのに土くれ。
まったく驚き。

こうして、就学前の自分と同じレベルから始まりました。
兄たちのおかげで原点が見えて、ありがとうと思っている私です。












-