かあちゃん

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私には師と仰ぎ母と頼む人がいます。
全道陶芸展の受賞式パーティで出会いました。



母の作品1990陶光会全国陶芸展入選作「柱状節理」H47xW35
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今でも忘れず、思えば泣いてしまうその人の言葉。

「17歳の娘を亡くした母と17歳で母を亡くした娘がせっかく出会ったのだから」

それからずーっと娘にしてもらって35年ほどになります。
焼きものを続けられなくなりそうな時も、生きることを諦めそうだった時も、いつも私を救ってくれました。

母の家には温泉がひかれており、行くたびにまず風呂に。
そしてそのたび私のえりあしを整えてくれました。
「富士額でえりあしが長くて。惜しむらくは面まる~。」
と剃りながら笑ってくれました。



母の工房外観一部
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以前、コメント欄に少しだけ書きましたがその人がおもわしくありません。
看病のために帰省してきた親孝行娘が認知症だといいます。

母「自分が何処に居るのかわからないのよ。何をしようとしているのかわからないのよね。」
歯 「かあちゃん、そんな哲学者みたいなボケ方をしちゃ駄目よ~。」
お互い笑ってしまいます。
これのどこが認知症
と思う私にせん妄では…とブログを通じて助け舟。





ボケは綺麗なのよね。私の花♪と母 笑    
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今年も緊急手術が必要な事態に複数回陥り、入院し全身麻酔を繰り返しました。
そうだ、せん妄に陥ってもおかしくないんだ!
回復を願って、公的力、友人、知人、実娘、偽娘こぞって介護の相談に余念なく。



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その素敵な助け船もつかの間、浴室で転倒。
その影響は見られないようでしたが梗塞が見つかり足元不安はこれらしいと。
そしてすぐに歩行できなくなり緊急入院。
1日だけでしたけれどまったく娘がわからない日が。
「どなたか存じませんがこんなにご親切にしていただいてありがとうございます。」
最初、冗談だと思った後のショックは大きく歩行できないこともあって自宅介護を断念。
少し遠いけれど甥が診察に回る施設に移送することに。

それが今日です。

娘は悲壮です。
もう二度と戻れないだろう我が家に立ち寄ることも出来ぬまま移送することに痛痒を隠せません。
「誰も見送りに来ないで」と静かに厳しく。
一方母は1日他人でしたがその後の数日でたくさん訪れる見舞客の顔と名前が一致。
さしいれの竹の子御飯を3口たべ、携帯に電話した数人とゆっくりおしゃべり。
日々前進!
頑張って帰ってくるから、とか細いけれど前向き発言。

娘は3月から仕事を休んで帰省したまま。
生活もままならなくなりそうです。
2週間ほどの間に変化激しく相談も追いつかず、出発。

でも、少しだけ希望を持ちました。
私とて同様です。




花は全て母が植えたものです  全2015-5-13撮影
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この家に再び母がもどってこられるようにと、遠くで見送っている今日です。
今までは片道100キロ程でしたがこれからは320キロくらいあると思います。
第一弾は20日
見慣れた、使い慣れた家具を使えるようにと運びます。
待っててよ、かあちゃん





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そんなこんなでかっ飛びライフしておりました。








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